PLAYERS : MASAKI HARADA
原田 正規
MASAKI HARADA
真冬のビッグスウェル
Part 2
極寒の海を舞台とした熱いセッション。大きくパワフルな波を求める、プロフェッショナルたちの衝動。
文:高橋 淳
写真:飯田 健二
水中写真:神尾 光輝
ヘビーブレイクをホームとするプロサーファー
2024年1月某日。低気圧が本州の南岸を通過するという天気予報。原田が狙う、茨城のとあるサーフポイントに波が立ちそうだ。この冬、原田はぜったいにスコアしたいと、そのヘビーブレイクをホームとする沼尻 和則とたびたび連絡を取り合っていた。
現在55歳の沼尻は高校3年、18歳のときにJPSAプロトライアルに合格。卒業とともにツアーをまわり出し、たった4年でグランドチャンピオンに輝いた経歴を持つトッププロサーファーだ。このポイントのそばに生まれ育ち、現在サーフショップ「エピック」を営む沼尻は、波の特徴をこう語る。
「大きなバレル。サイズは10フィート(トリプルオーバーヘッド)くらいまでホールドする。もっとでかい波も見たことがある」
沼尻の案内を受けて波チェック。原田の長男カイマナは初めて経験するサイズの波を見て緊張の面持ち
泡立つインサイドセクションをグラブレールで駆け抜ける沼尻。荘厳な輝きを放つプロのステージ
沼尻とのひさびさのセッションにワクワクする原田。沼尻はサーフショップを営む傍ら、農業も行う。そうして土地のリズムとともに暮らし、このハードな波をメイクすることに情熱を注ぎつづけている
プロサーファーが輝けるステージ
原田が前回このエリアを訪れたのは2016年のこと。当時サポートを受けていたウェットスーツメーカーのチームメイトだった縁で、沼尻の招待を受けたことがきっかけだ。原田は振り返る。
「沼さんは自分のホームの波がすごいから、シェアするためにチームを呼んでくれたんだ。すごく感謝してる。今、おれたちプロサーファーには大会以外の活躍の場が少ない。でもここの波に出会えて、ステージがあると思えたんだ」
10年以上ハワイに通いつめ、究極の波で自身のサーフィンを高めてきた原田にとって、コンディションが悪い小波でも戦わざるをえない大会は全力を注げるものではなく、プロ活動にもどかしさを抱えていたという。かつてはサーフィン専門誌が隆盛を極め、一般のサーファーにはとうてい乗りこなせないヘビーな波に乗る姿を写真に残すことがプロの使命になっていたのだが……。
「時代の流れでしょうがないことはわかってる。でもやっぱり、カメラマンとともにこうした強烈な波にチャージすると、プロサーファーとして間違いない道を歩んでいると思える。ステージがある。だからサーフボードをつくって、そこにいくというシンプルな衝動。チャレンジする場所があるっていうのは、サーファーにとって希望なんだ」
襲いかかるリップの真下でボトムターンのタイミングを見定める。強靭な足腰から繰り出される原田のサーフィンは、波がパワフルになるほど輝きを増す
親子で挑んだビッグウェイブ
8年ぶりに乗ったここの波は、思ったとおりすごかった。タイミングを見計らい、狙いどおりチャージできたことに興奮を覚えたものの、原田はくやしさもにじませる。
「フォトジェニックなビッグバレル。リップが飛んで、チューブの出口がパーンと広いていた。だけどサーフボードが短くて、そういう波に手を出せなかった。でもドロップのスリルをちょっと感じられて楽しかった」
2日にわたって繰り広げられた今回のセッション。原田はカイマナに、初日は見学に徹するよう伝えた。
「カイマナは『パパ、おれ行けるかな?』って具合で、自分で判断できない状況だったから。途中でリーシュが切れたら泳いで帰れるのか、テトラに吸い込まれないためのポジショニングや攻め方などいろんな予測を立てて『行ける』と思えたら入るべき。気軽に挑んじゃいけない。何せ水の量と掘れ方がすごい」
2日目に入ったポイントは、前日の場所にくらべてビーチのロケーションがやや広い。そして波と波の間隔が長くなり、逃げ道が見えたためカイマナもトライ。
「インサイドで何本かスコアしてたみたいだね。海から上がったあとは多くを語らず、ただ誇らしげな表情をしていたよ。でも序の口だからさ。本当はもっと食らってほしかった。おれは初日からバンバン食らってた。じつはそれって大切なこと。危険度を察知できるから。食らっておかないと、知らないままズドンとくる恐怖がある。波が大きな日は最初に食らっちゃうと楽なんだよ」
勇姿を捉えたウォーターショット。初めて経験する波のサイズとエネルギー……。カイマナの心に一生刻まれたビッグウェイブセッション
インサイド寄りで危険を回避しつつ、マイペースにチャレンジを繰り返したカイマナ
大波に挑むサーファーたちのピュアな思い
凍えるほど寒い真冬の海に飛び込み、ビッグウェイブに挑む。生半可なスキルと気持ちでは成しえない、ハードコアなサーフィンを追求する原田は手ごたえ得た。
じつはこのセッションには、日本を代表する若手のチャージャーたちもいた。それぞれがうねりのにおいを嗅ぎつけて決断。フォトグラファーやビデオグラファーとともに行動し、すべてのタイミングがそろって初めて姿を現すステージで超弩級のサーフィンを撮り溜めている。プロサーファーたちのアンダーグラウンドな活動は、いつの日か作品となりファンを熱狂させるのだ。大きくパワフルな波に乗るサーファーの姿は、掛け値なく美しい。
「第一線を走る彼らとやって、自分も行ける範囲だと確認できた。ただ、時間と準備が必要だとも思った。レディな状態であれば問題ない。こうしたサーフィンをフィーチャーして、シーンの魅力が幅広くなっていってほしいんだよ」●
茨城の海は美しい姿を見せてくれた。ウォーターショットを残したフォトグラファー、神尾 光輝の撮影について原田はこう教えてくれた。「寒いなか2時間ほど泳ぎながら撮っている。浮きすぎないように、体に鉛をつけてるんだよ」
自作のサーフボードで波にトラックを刻む原田。「人生ひっくり返るくらいの勢いで、このステージで『決めたい』と思った。次のイメージはもう頭のなかにある」
POSTED : 2024-03-08