STORY

OCEANS TALK with Muneharu Yamaura Part 1

PLAYERS : MASAKI HARADA

TOP STORY OCEANS TALK with Muneharu Yamaura Part 1

原田 正規
MHASAKI HARADA

 

OCEANS TALK
with Muneharu Yamaura
Part 1

 

オーシャンズ※1のメンバーのひとり、山浦 宗治とのトークセッション。2000年代初頭から現在にいたるまで、プロサーファー山浦の歩みを聞いた。

 

※1 2008年に結成。メンバーは原田 正規、吉川共久、山本 茂、山浦 宗治、山田 弘一、市東 重明、友重 達郎、遠田 真央という8名のプロサーファーたち。

 

文:高橋 淳
写真:飯田 健二

原田 正規(以下、MH):まず、ムネ君が現役のプロサーファーだったころについて教えて。
山浦 宗治(以下、MY):僕がプロになったのは27歳のとき。
MH:じゃあ、おれが24歳のときか。
MY:デビューが遅くてさ。当時は雑誌がすべての情報源だった。昔からプロサーファーの記事を見ていたから、やっぱり自分のライディングの写真を残したくなった。
MH:昔からの思いが27歳になってかたちになった。
MY:そう。いざプロになって、いろんなイメージが膨らむわけだよ。「スポンサーにお金をもらって、おれはプロサーファーで食ってくんだ!」みたいにね。でも、現実はそうかんたんじゃない。
MH:成績を残したり、プロとしてのスター性を磨くことだったり。
MY:そう。正規は世界戦※2に出たし、プロツアーでも目に見えるような成績を残してきた。だけど僕の場合は、アマチュアの試合ではいくつか勝っていたけれど、プロになってからぜんぜん勝てなくて。そうなるとスポンサーも限られてくる。その現実とイメージとのギャップはすごかった。

 

※2 IOC(国際オリンピック委員会)の国際競技連盟に所属するISA(国際サーフィン連盟)主催の大会。世界チャンピオンと国別のランキングを決定する。「ワールドサーフィンゲームス」の名称で広く知られる。

山浦 宗治(やまうら むねはる)●1973年9月26日生まれ。東京都立川市出身、千葉県一宮町在住。先輩の影響を受け、13歳のときにサーフィンを始める。2000年、27歳のときにJPSAのプロテストに合格。オーストラリアにてサーフィンのコーチングとライフセービングの資格を取得、パプアニューギニア政府観光局の要請を受けて親善大使に就任、たちかわ中央公園スケートパークを立案・創設するなど、サーフィンを軸に幅広い活動を展開してきた。現在は大手企業に勤務しながら、Sリーグのマスターズツアーに参戦中。

MY:それで悩んでいたとき、ある後輩がアドバイスをくれたんだ。「山浦くん、プロサーファーがサーフィンうまくなるのはあたりまえです。せっかくプロになったんだから、サーフィン以外の活動でもスキルを磨いていったほうがいいですよ」と。
MH:すごくいいアドバイスだね。
MY:今聞けばね。でも当時は「ん?」って感じだった。「プロの試合まわってスポンサーから給料もらうんだ!」って燃えていて、サーフィンのことしか考えていなかったから。

MH:そりゃそうだよね。
MY:うん。けれども彼は「山浦くんがスポンサーを得ようとしているところは、自分にプライオリティがあるサーフィン業界だと思うんだけど、サーフィンとは関係ない企業にもアピールしてみてはどうですか? そのためには、相手のこともよく考慮しながら、自分をうまくアピールしなきゃいけない。そういう技術を学んだほうがいいですよ」なんて言う。そうは言っても、そのころのサーフィンはまだまだアンダーグラウンドなスポーツだった。
MH:だけど、すごく熱かったよね。たくさんの人が熱狂して。
MY:でもいっぽうで、ほかの業界の人たちはサーフィンのことをよくわかっていなかった。インターネットも発達してなくて、ガラケーのころだったからね。
MH:当時のおれたちじゃ、他業種にアプローチしたらしっちゃかめっちゃかになりそうだね。
MY:そう。そんな僕の文章を企業に送ると、案の定「君は何がしたいの?」っておことわりの返事が来るわけ。そうなると、受け身がぜんぜんできていないからすごくショックを受けちゃうんだよ。それですぐやめた。そうしたら例の後輩がまた来て、「メール何通出しました?」「1通」「話にならないです。とにかく年間100通出すくらいの勢いで出して、どんどん文章もアップデートさせてください」って言い出した。
MH:すごいね。
MY:後輩なのにね(笑)。だから一生懸命メールしたよ。おかげでアディダスのアイウェアとか、サーフィン業界じゃないスポンサーが何社かついてくれた。そうやって、一般企業が相手でも対等にやりあえる自分にならなきゃいけないということを学んだ。
MH:なるほど。ムネくんはサーフィンの世界以外のスポンサーを得ながら活動していきたかったんだ。
MY:そう。いろんなところにサーフィンを広めたかった。

MH:立川のスケートパークをかたちにできたことも、そうした努力がベースにあったんだね。
MY:うん。そのころの経験で得た学びは今も生かされてる。

MH:今の仕事にも?
MY:うん。たとえば新規のお客さんとお話するときに、「どう接すればいいかな」ということをより深く考えられる。
MH:現在のムネくんはどんな仕事をしてるの?
MY:会社員として、別荘の管理をしている。
MH:大変?
MY:最初はやっぱり大変だったね。サーフィンの世界とまるで別物から。

MH:ある程度成功した人たちが別荘を買うわけだよね。
MY:うん。今までずっと社会で揉まれてきた人たちを相手に仕事をするのだから、価値観や要望をちゃんと理解してないと迷惑がかかっちゃう。
MH:へたしたら「この人は話になんないよ!」って言われちゃうもんね。

MY:そうだね。でも逆に、海の世界も同じだと思うんだよ。海のことをまったく知らない人が自己流でサーフィンすれば危険もあるし、トラブルにもなる。だからいくつになっても新しいことを始めるときは、その道の先輩に「1からよろしくお願いします」という気持ちでいかないと。
MH:プロサーファーを経て、2回目のデビュー。
MY:そうだね。おもしろいのは、ぜんぜん勝手が違うんだけど、慣れてくると、サーフィンで培ってきた経験を「こういうところにも生かせるな」という場面が出てくるんだよ。
MH:1回成し遂げているからこそ、ポイントがわかるんだろうね。
MY:大事なことは、どんな場に行っても変わらない。いつでもそう思えるようになるためには、初心を忘れちゃいけない。
MH:大切だね。その感覚はつねにおれのなかにもある。壁に当たったら、最初の気持ちを思い出す。リセットすれば、いけなかったことも理解できるから。そしてまたスタートできる。
MY:それってどういうことなのか考えたんだけど、「強さ」でもあると思う。
MH:どんな環境でも生きていけるというね。
MY:強さがあるから初心に戻れる。その強さがない人は過去の栄光を捨てきれずに、初心になれない。

<つづく>

POSTED : 2024-08-30