PLAYERS : MASAKI HARADA
TOP STORY OCEANS TALK and SURF SESSION with Tomohisa Yoshikawa Part 1
原田 正規
MASAKI HARADA
OCEANS TALK and SURF SESSION
with Tomohisa Yoshikawa
Part 1
原田が切磋琢磨してきた同い年のプロサーファー仲間、ヨッシーこと吉川 共久。それぞれ地元を離れ、千葉・一宮を拠点にして25年以上になる。Part 1は、そんなふたりのちょっと昔の話。
文:高橋 淳
写真:飯田 健二
原田 正規(以下、MH):初めてヨッシーと会ったのは、宮崎の木崎浜でやったNSA※1西日本※2のとき。
吉川 共久(以下、TY):15歳か16歳?
MH:そう。ジュニアクラスで。おれがメキシカンラグみたいなジャケット着てて、後ろにいたヨッシーが「それいいね」って話しかけてきたの。
TY:宮崎に行った覚えはあるんだけど、正規と会ったことは覚てない。おれの記憶では、鳥取か島根でやった西日本が最初。正規が遅刻したとき。
MH:それあった!おれはその前年の西日本で優勝して、NSAのお偉いさんから呼ばれて「選手宣誓してくれ」って言われたんだ。それで選手宣誓してから、1ヒート目で遅刻したんだよね。
TY:それで「えーっ、正規やっちゃったねー」と思って。その印象が強い。
MH:寝坊してあせったし、みんなに「謝ってこい!」って言われた。
※1 日本サーフィン連盟の略称。国際サーフィン連盟、日本オリンピック委員会、日本ワールドゲームズ協会に加盟している組織。
※2 NSA主催の西日本サーフィン選手権大会。中部・近畿・中国・四国・九州沖縄地方の各県の代表が西日本トップを競い合う。
吉川 共久(よしかわ ともひさ)●1975年12月10日生まれ。愛知県名古屋市出身、千葉県一宮町在住。14歳のときにサーフィンと出会う。アマチュア最高峰の世界大会、ISAワールドサーフィンゲームス出場後にプロ転向。選手引退後の現在、日本有数のサーフタウン、千葉・一宮でアトランティックコーヒースタンドを営みながら、あらゆるボードを乗りこなしてサーフィンが持つ自由なフィーリングを体現する。長年のスポンサーであるCHPが開催するサーフレッスンの講師としても活躍中
MH:あのときヨッシーは伊良湖がベースで、ZH(というサーフボードブランド)に乗ってたよね。
TY:そう。でも徐々にブランドが危うくなってきて、当時の伊良湖にはうまい人もあまりいなかったから「これ以上ここにいてもうまくなれないな」と思って、19歳で千葉に来た。そこで、あらためて正規に会った。
MH:千葉に来てからすぐにヨッシーが借りていた一軒家が、用を足すとおつりが返ってくる感じのぼっとん便所でさ。「ヨッシーすごいとこに住んでるな」って思ってたな。
TY:すごかったよね、あそこは。隣が大家のおじいちゃんの実家で、その離れを借りてた。水道から出る水が井戸水で、めっちゃ臭くて真っ茶だった。
MH:当時はみんなそんな感じだったよね。おれが借りた家も井戸水で、コーヒー淹れると泡立ってたり。それでおれは肌弱いから肌荒れしちゃってさ。金がなくて、コンビニでバイトしてた友だちに廃棄の弁当をもらって食べてたりもしてたから。そういう時代だったよね。
TY:なかなかだったよね。みんなもっと激しいアパートに住んだりもしてたし。おれは一軒家で自分の時間がつくれてたからよかった。仲間で部屋をシェアしてた正規のグループから一歩はずれてたから。きっと正規にはもっと違ういろんな事柄があっただろうね。でも、同じ時代を一緒に歩んできているのは確か。
MH:うん。ひたすらサーフィンに打ち込んでた。
TY:正規はそのときにはすでにプロサーファーで、スポンサーからお金ももらってた。まだアマチュアだったおれはシーソングでアルバイトしてお金を貯めて、ハワイに行ったり、カリフォルニアに行ったり、大会をまわったりしていて。
MH:ヨッシーがプロになったのは何歳のとき?
TY:23歳。22歳でISAワールドサーフィンゲームスに出てアマチュアのキャリアを積んで、「プロになります。プロになったらサラリーをくださいね」ってスポンサーと約束をして結果を残して、やっとアルバイトから離れられた。でも正規はもうすでにいろんな大会で成績残して、写真も残して第一線でやってた。だから、おれたち同年代のなかではいちばんキャリアを持ってる。正規の格好よさやセンスはみんなに影響を与えた。そんな位置づけだった。
MH:ヨッシーはブレずにひたむき。おれは私生活も遊びを入れながらやってたけど、ヨッシーはサーフィンして、仕事して、ちゃんと自炊してという感じでひとりで淡々とやってたよね。
TY:タイプが違うよね。
MH:おれはまわりにつねに人がいてつるんでたから。
TY:でも(サーフィンを糧に生きていくという)ベクトルが同じ。だから一緒にいて楽しめる。正規らしさっていうのをおれは認められるし、許せるから。「正規だからしょうがないでしょう」って。自分にはない勢いのよさが刺激になるし、だから許せるというか。勉強にもなるし。
MH:今の話を聞いてちょっとうれしいんだけど、おれももちろんそう思ってる。ジェラシーではないけど、「やっぱりすげえな」と思うところが昔からヨッシーにはある。ちゃんと見据えて、ブレない。おれはいろんなところに顔を出しちゃったりしてたけど、一本道。そういうところが、おれより大人っぽい。ヨッシーが今もお世話になってるCHPやビーウェットとのつながりもそのころからだからね。
TY:そうだね。
MH:信用があるよ。ヨッシーみたいなプロは。
MH:ヨッシーがプロになってからは一緒にカリフォルニアも行ったし、ハワイも行ったし、バリも行った。国内のプロの試合もよく一緒にまわってたよね。
TY:楽しかったね。
MH:でも大人になってからは交流が減ったね。
TY:おたがいに結婚して、子どもができてからはそれぞれのペースがあるし、いったん離れてる。でももしも何かあったら、いつでも集まれるスタンスではある。そのつながりの強さのきっかけになったのはオーシャンズ※3だね。オーシャンズは、同年代の仲間で集まって「地域や子どもたちのために楽しいことをやれたらいいね」って始まった。東日本大震災の前に2~3回イベントをやったよね。
MH:そうだね。
※3 2008年に結成。メンバーは原田 正規、吉川共久、山本 茂、山浦 宗治、山田 弘一、市東 重明、友重 達郎、遠田 真央という8名のプロサーファーたち。
TY:一宮に子どもを集めて、サーフィン体験とか大会のようなことをしながら、海の遊びを楽しく知ってもらいたくてやってた。でも震災が起きちゃって、それぞれ家庭とかプライベートをより尊重し合って、ここ10年くらいはちょっと時間が空いてる感じ。
MH:今は、ヨッシーは子どもが大きくなって手離れしてきたけど、おれはまだ子どもが小さいから離れられない。でもおれもサーフィンがベースの生活に戻ってきたから、みんなで会える機会を増やせたらいいなと思ってる。オーシャンズは、おたがい理解し合い、認め合ってる仲間。その当時はキッズたちにサーフィンを広めるプロのチームはなかったよね。
TY:ね。
MH:すごく好評で、いろんなところから参加者が来てた。この前、今千葉でがんばってるトップアマの子に「じつはおれ、正規さんにプッシュしてもらってたんですよ」って声かけられたんだ。あのときサーフィンを始めた子が大きくなって、今も海に入りつづけて上手になっていることを知ってうれしかったよ。
<つづく>
POSTED : 2024-07-05