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ギネス世界記録にチャレンジ

PLAYERS : EMA KAWAKAMI

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河上 恵蒔
EMA KAWAKAMI

 

ギネス世界記録にチャレンジ

びっくりする誘いを受けて飛び立った。スケートボードでイタリアのテレビ番組に出演。

 

文、写真:河上 竜平

チャンスは突然やってきた

 

2023年11月、イタリアのテレビ番組『ロ・ショー・デイ・レコード(記録破のショー)』のプロデューサーからダイレクトメッセージが届いた。

 

「イタリアに来て、テレビ番組に出ないか?」

 

気になったので、くわしく話を聞いてみることに。ギネス世界記録にチャレンジする番組で、エマにスケートボードで挑戦してほしいという。この時点では、どんなことに挑戦するかは決まっていなかった。エマに聞くと即答。

 

「イタリアに行ってみたいから、チャレンジする!」

 

とはいえ、大事なウィングラムカップ の練習もある。悩ましいが、せっかくのチャンスだ。「ぜひやりたい」とプロデューサーに返答した。

 

さっそく現地のパークビルダーでネルジスケートランプ代表のパオロ、そしてプロデューサーのニコラとオンラインミーティングを行う。高さ3メートルのバーチカルランプをスタジオに組むことに決まった。収録は2月の予定だ。

 

当初、現場のバーチカルランプに対して不安があった。しかしネルジスケートランプは、バーチカルを含め、パークやストリートセクションまでを組むイタリア屈指の会社。それを知って安心できた。彼らはバーチカルランプの垂直部分の長さ、コーピングの太さなどすべてのパーツに対してミリ単位で設計を行っていた。

 

さあ、どのようにギネス世界記録にチャレンジしようか。世界最年少でバックサイド900※1をメイクすることを提案したが、「1分間にトリックを何回できるか」というチャレンジがいい」とニコラからの要望。エマはこう決めた。

 

「バックサイド540(以下、540)※2を1分間に何回できるか挑戦する」

 

ふだん練習しているジーパークにはほかのスケーターもいるため、エマだけのために1分間を確保することはむずかしい、一般的なコンテストのランは制限時間30秒。その2倍となると、目がまわることも考えられる。エマはこれまで、540を連続何回できるかという遊びを何度かやったことがあるのだが、最高で11回。時間にして30秒ぐらいだ。12回目は目がまわってしまいバランスを崩した。危険だったので、それ以降はやっていない。

 

それでもギネス世界記録達成に向けて練習をする必要があった(調整のためであることはもちろんだが、撮影した動画をニコラに定期的に送らなくてはいけない)。ふだん練習しているバーチカルの高さは約4メートル。イタリアでチャレンジするバーチカルは3メートルで、幅もふだん使用しているバーチカルの半分以下になるのでいまいち見当がつかない。エマはこう言った。

 

「イタリアで実際のバーチカルを滑ってからじゃないと何回できるかわからないけど、540だから問題ないと思う」

 

今や540よりも難易度高いトリックに取り組んでいるエマには自信があるようだ。

 

 

※1 空中で体とボードを一緒にお腹側へ2回転半させるトリック。
※2 空中で体とボードを一緒にお腹側へ1回転半させるトリック。

関西国際空港から出発し、韓国の仁川空港経由でミラノのマルペンサ空港へ向かった。空の上から初めて中国大陸を見て感動。そうしてゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、カスピ海、黒海を通過したときはエマに場所を説明した

機内食にご満悦。エマはコーラを何杯もおかわり

日本を飛び立ちイタリアへ

 

ついにイタリアに出発する日がやってきた。

 

神戸の片田舎で生まれ育ち、大好きなスケートボードをやりつづけて9歳で世界を体感できるなんて本当にすごいと思う。エマは周囲のたくさんの人たちとスケートボードに感謝しないといけない。そして、わたし自身もエマに楽しませてもらっていることにあらためて感謝したい。そんなことを思いながら、ほぼ寝ることもないままミラノに入った

 

イタリアに降り立ったのは現地時間の18時ごろ。テレビ局のスタッフが空港からホテルまで車で送ってくれた。

 

ホテルで夕食をとり、飲み物を買おうと軽く散歩。明日のリハーサルに備えて、早めに眠った。

テレビ局のドライバー(左)とギネスチャレンジで一緒だったドイツのパフォーマー(中央)。車内ではラキムの曲が流れていた。ドライバーとわたしは気が合いそうだ

生まれて初めてのテレビ局

 

イタリア2日目。この日はリハーサルのため、午後にテレビ局へ行くことになっていた。それまでのあいだ、わたしとエマはミラノを観光しながらゆっくり過ごした。15時。テレビ局のスタッフが迎えにきてくれて、いざスタジオへ。メディアセットは、イタリア国営テレビと並ぶ規模のテレビ局だ。敷地は広大。局内にはイタリアの芸能人らしき方々もいたのだが、誰が誰だかまったくわからなかったのが残念だ。

 

わたしたちは『ロ・ショー・デイ・レコード』の専用スタジオに案内された。そのスケール感とカメラ、照明、モニターなどの機器、100人ほどはいるであろう関係者の人数に圧倒される。バーチカルランプの制作が最終段階に入っているようだ。やがて、プロデューサーのニコラが現れた。オンラインで面識があった彼を目の前にして感動する。ニコラはエマとわたしを歓迎してくれた。そして、ニコラと同じく初めて実際に会えたネルジスケートランプ代表のパオロがこう言った。

 

「もうすぐ完成する。できたらさっそく滑ってみてくれ」

 

撮影のためにたくさんの人たちが関わっていることにより、わたしはプレッシャーを感じていた。だがエマは「早く滑りたい!」と言い、プレッシャーよりも楽しみな気持ちが圧倒的に勝っていた。出演者はエマだけではない。世界各国から来た人たちが、それぞれの特技でギネス世界記録にチャレンジする。そのため練習に使える時間はかなり限られていた。

 

バーチカルが完成するやいなや、エマの練習時間がやってきた。ひかえのスペースでストレッチをしてから軽く滑ってウォーミングアップずみ。バーチカルで2度飛んでから、すぐに540の練習に入った。エマは2回で合わせて、ひとまず540を1回メイク。ここで問題となったのが、グリップしすぎる滑走面だった。つまり、完璧な着地をしないと失速して、連続で540をすることが困難なのだ。そこで、確実に失敗しないで連続でできる回数が何回なのかをエマとイメージした。その結果、4回。5回目以降は飛び出しが低くなりすぎて失敗する可能性がある。転んだらアウトだ。そこで、連続4回をメイクしてからいったんやめてプラットフォームに戻り、再スタートする方法をとることにした。ニコラもそれで問題ないという。

 

さらに本番での登場から退場までの一連の流れの打ち合わせとチェックをしていると、あっという間にリハーサルの時間が終わった。明日が本番。きっとうまくいくはずだ。そう願いながら、ホテルへと戻った。

エマがギネス世界記録に挑戦した場所は、イタリア最大のテレビ局であるメディアセット。このタワーも含めて敷地となっている

メディアセットの局内。迷路のようなつくりとその広さにびっくり。壁には『ロ・ショー・デイ・レコード』の収録シーンのパネルが飾られていた

スタジオ内に完成したバーチカルランプ。まばゆいライティングに照らされ注目度満点

バーチカルを組んでくれたネルジスケートランプ代表のパオロと一緒に

宿泊したホテルは個性的な関係者ばかり。お笑い芸人のビコーン!もギネスチャレンジに来ていた

7歳の有名DJ、DJ RINOKA DJとコローニョの街中で遭遇。彼女もギネスチャレンジのためイタリアに滞在していた

異国で手にした大きな記録

 

3日目。いよいよ撮影だ。最終ミーティングを行い、本番直前の練習に入る。
エマの出番は最初。少し緊張した様子だったが、「コンテストよりは緊張しない」と言って挑んでいった。

 

昨日のリハーサルと同じように、4回連続で540をメイクしたらプラットフォームに戻り、仕切りなおした。再スタートすると時間のロスはあるが、確実にメイクすることが何よりも大事だ。

 

時間だ。わたしは、エマと離れた裏手でモニター越しに滑りを見守ることに。本人以上に緊張しているわたしをよそに、エマは登場からの流れを難なくこなしている。通訳者のサポートのおかげで、番組司会者とのやりとりもスムーズに進んだ。そして、本番のランがスタートした。

 

4回連続で540を成功させ、仕切りなおしては回数を重ねるエマ。最終的に、4回連続を8度メイクした。

 

審査員による結果発表。エマはみごとにギネス世界記録保持者となった。●

帰国後、ジースケートパークでギネス世界記録をメダルと賞状を手に記念撮影。現場では、エマははにかみながら大喜び。観客やニコラをはじめ、その場にいたすべての人がエマの成功を喜び、讃えてくれた

レオナルドダヴィンチの石像の前でパチリ。大きな記録とともに、すばらしい思い出ができた

POSTED : 2024-03-22