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ワイルドサイドを歩く Part 2

PLAYERS : MASAKI HARADA

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原田 正規

MASAKI HARADA

 

ワイルドサイドを歩く
Part 2

「あたりまえの生き方じゃないことはわかってる」。自身と家族の未来のために、覚悟を決めて踏み出す新たな一歩。

 

文:高橋 淳

 

全員が海を楽しむサーフファミリー

 

原田は5人家族だ。妻のさとみとはサーフィンが縁で結ばれた。そして結婚後、すぐに長女コアが誕生。続いて長男カイマナ、次男イムアと3人の子宝に恵まれる。サーファーである両親から生まれた子どもたちは生まれながらにして海と親しむ術を知っていた。

 

「それが本当に自然でね。子どもたちはみんな2歳くらいのときには海に入ってた。自分たちが休みときはつねに海に行くからさ。最初はボディボードに乗せて、インサイドで『キャッキャ』言いながら遊んで。小さい体なのにぜんぜん波を怖がらなかった」

 

千葉・一宮という日本有数のサーフタウンにある原田家は海から徒歩数分の場所にある。最寄りのビーチはかつて世界大会が行われたことがあるほどいい波が立つサーフポイント。そんな環境のもと、コアとカイマナはいつの間にかサーフィンを始めていた。

原田家は全員が一年中海遊びをする。左から原田、カイマナ、イムア、さとみ、コア。家の前のビーチ、東浪見海岸にて

写真:飯田 健二

 

長女コアは全日本チャンピオン

 

「コアがサーフィンを始めたとき、海のなかで『もっとこうだよ!』とストイックに言いすぎてしまった。そうしたらすぐに泣き出すんだよ。そりゃそうだよね、女の子だし。でもおれはうまく教えられなくて、それが苦しくて苦しくて……」

 

そんな展開を変えてくれたのが、波の上をゆったりと優雅にクルーズするために乗るロングボードとの出会いだった。サーフィンは選ぶ道具によってフィーリングがまったく異なる。原田はF1マシンのように研ぎ澄まされたショートボードを操るプロサーファー。当初は子どもたちにも同じ道具を与えていた。だがある日、気まぐれで乗せたロングボードがコアの感性にマッチした。

 

「気分を変えてあげようとコアをロングボードに乗せていたら、近所に住むプロロングボーダーの高貫 佑麻が声を掛けてくれて。それからというもの、学校が始まる前にコアと一緒に海に行ってはマンツーマンで教えてくれた。そうしたらコアのマインドがどんどん変わって、完全にロングボードにハマっちゃったんだ。そのときおれは水道屋の正社員として働いていた。でも時間をつくって、コアのためにすぐにロングボードを削ってあげた」

 

ときを同じくして、コアは同世代のロングボーダーの女の子と出会う。サーフバディがいればサーフィンはもっと楽しい。友だちと切磋琢磨しながらぐんぐん上達したコアは、コンテストに出場するようになった。

 

「その結果が、去年13歳で初めて出た全日本※1でいきなり優勝だよ。大会会場は宮崎で、おれが育った九州の海。残念なことにおれは応援に行けなかったんだけれど、宮崎にいた仲間が『正規の娘か!』とかまってくれていた。感動的だった。おれが17歳のときに全日本に初出場したときは準優勝。『もうパパ抜いちゃった』って言われたよ(笑)」

 

※1 日本のアマチュアサーフィン最大の組織であるNSA(日本サーフィン連盟)が主催する「全日本サーフィン選手権大会」の略。日本全国にある各支部の予選を勝ち抜いた選手が集まり、その年の日本一をかけて戦う。

 

コアは中学2年生。今春、日本中からエントリーが集まるロングボードのイベント太東ビーチクラブクラシック2023の招待選手に選ばれ、トッププロロングボーダーと戦い4位と善戦した

写真:米地 有里子

 

海で成長する子どもたちに残す道

 

「カイマナは怖いもの知らず。3歳でまだ赤ちゃんだったのに、白波の下に巻き込まれても泣かなかった。我が子ながらすごいと思った。小さいころ波に巻かれたことがトラウマになり、海が嫌いになったというのはよく聞く話。でもそうならずに、おれと同じくショートボードにハマった。イムアはまだ進んでサーフィンをしようとはしないけれど、夏じゃなくてもウェットスーツを着て海で遊んでるよ」

 

子どもたちが海を中心に成長していくにつれ、サーフボードづくりだけではとうてい家族を養えずにフルタイムの仕事をしていた原田はジレンマを抱えるようになる。安定した仕事を継続するか、ふたたび不安定なサーフィン1本の道を手探りするか。後者はまさに道なき道。原田にとっては、マイナスからの再スタートを意味する。また始められるかどうかすらわからない。

 

原田は答えを出した。

 

「サーフィンにどっぷりと入り込んでいく。そして、子どもたちが海をフィールドに生きられるように環境を整える」

小学5年生のカイマナは父の背中を追うショートボーダー。腕前はご覧のとおり

写真:飯田 健二

イムアは今年小学生になったばかり。原田とうりふたつの笑顔で海遊びに興じる姿を見れば、「サーフィンしたい!」と言い出す日も遠くはなさそうだ

写真:飯田 健二

 

再起を目指すプロサーファー、原田 正規

 

「海をフィールドに生きる」。自分の子どもたちが幸せになれるよう、どのように育てていけばいいのだろうか。原田が行きついた具体案は「まず自分がサーファーとして活躍する」。往年のプロサーファーでは終わらない。ふたたびサーフィンに専念するため、原田はスポンサー獲得に奔走。そして、一縷の望みはつながった。JPSA※2のシニアツアーに参戦することが条件だ。

 

「40代半ばになると、プロでもアマチュアでもサーフィンをやめていく人が多い。仕事、家庭、人それぞれ事情がある。でもおれは逆行していく。あたりまえの生き方じゃないことはわかってる」

 

この決断は、自身のエゴを満たすための選択なのか、家族をあるべき姿に導く手段なのか。原田は、その両立こそが進むべき唯一の道だと考える。確かなものは周囲に見えないが、そこが崖っぷちであることは間違いない。

 

「最後のチャンスだと覚悟している。だからこそ、責任を感じる。現役時代、応援してくれる人の存在が心強かった。親に否定されながらサーファーとして育ってきた自分を認めてもらえて本当にうれしかった。でもそんな人間関係もビジネスでなくしちゃったんだ。あらためてサーフィンの世界で活動することで、なくしたものを少しずつ取り戻していきたい。自分勝手な思いかもしれないけれど、その先に子どもたちの未来があればいいと願う」

 

 

※2 日本プロサーフィン連盟の略称。同連盟のプロテストに合格すると、国内プロツアーに参戦するためのライセンスを獲得できる。

 

JPSAのライセンスをあらためて取得し、心新たにプロサーファーとして戦いに挑む。原田の爆発的なサーフィンを心待ちにしているファンは少なくない

写真:飯田 健二

POSTED : 2023-06-16