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ボーン・トゥ・ライド

PLAYERS : EMA

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河上 恵蒔

EMA KAWAKAMI

 

ボーン・トゥ・ライド

世界を揺るがすキッズスケーター、河上 恵蒔が誕生したきっかけ。

 

文:河上 竜平

 

 

スケートボードとは縁がない環境

 

わたしの息子、河上 恵蒔(エマ)は2014年9月8日生まれのAB型。かわいらしい名前のおかげでよく女の子に間違えられるが男の子だ。現在小学3年生で、身長123センチ体重23キロと平均より少し小柄である。両親と3歳年下の弟、そして犬5匹とともに暮らすのは神戸市。とはいえ街中ではなく、六甲山が見渡せて田畑もある比較的のどかな場所だ。

 

エマは活発で人見知りをしない性格だ。保育園のころから積み木やパズル、お絵かきよりも、鉄棒やブランコ、ボール遊びばかりしていた。生まれたときから犬を飼っていたため犬が大好きで、毎日一緒に寝て起きて遊んでいる。犬がたくさんいる以外はごく平凡な家庭であり、スケートボードとはまるで縁はなかった。ところがわずか3〜4年でいっぱしのスケーターに成長。本場アメリカ、そしてブラジルやオーストラリアなど世界のスケート業界でエマの存在が知られるようになったのだから信じられない。

 

 

エマ3歳。七五三の撮影。小さいころから撮られるのが好きな性格だ

写真提供:河上 竜平

左から筆者である父の竜平、エマ、母の恵美子、次男の柊呂(ヒイロ)。東京に行った際に立ち寄ったカフェにて

写真提供:河上 竜平

 

トッププロスケーターに認められた実力

 

エマがスケートボードのなかでもっとも得意とし、メインで練習するのは「バーチカル(バート)」と呼ばれる高さ13フィート(約4メートル)の大型ハーフパイプで行う競技だ。バーチカルはオリンピックでは採用されていないものの、Xゲームズ※1や世界大会などでは大きな見どころ。スケートボードの神様と称されるトニ・ホークもバーチカルのスケーターである。

 

最初にエマが注目されたきっかけは、東京オリンピックが開催される前の2020年、6歳のときにホームパークのジースケートパークのバーチカルでバックサイド540(ファイブフォーティー)※2を成功させたこと。バックサイド540はオリンピックのパーク※3でも花形の高難易度のトリック。そんな大技を小さな体でメイクし、インスタグラムで「世界最年少で成功」と有名になったのだ。そして続けざまにバックサイド540のバリエーションや逆まわりのフロントサイド540を成功させてレジェンドスケーターのスティーブ・キャバレロなど著名人のアカウントでシェアされ、きわめつけにスケートボードの神様、トニー・ホークの紹介を受けたことによりフォロワー数をぐんと伸ばした。

 

さらに7歳の夏、トニー・ホークのシグネチャートリックであり、世界でも成功者の少ないバックサイド900(ナインハンドレッド)をメイク。Xゲームズでメダル獲得など大活躍中のギー・クーリの8歳の記録を更新した。そのできごとはアメリカABCニュースの番組「グッドモーニングアメリカ」やオリンピック公式インスタグラムでも紹介された。

 

 

※1 さまざまなエクストリームスポーツを集めて夏と冬の年2回開催されるスポーツ競技大会。

※2 空中で体とボードを一緒にお腹側へ1回転半させるトリック。半回転増すごとに技の呼び方に180ずつ数字が加わる。

※3 おわんを組み合わせたようなくぼ地状のコースを自由に滑る競技。

 

ある日、スティーブ・キャバレロから「日本に行くから一緒に滑ろう」とダイレクトメッセージが届いた。現実となるまで半信半疑だったが、本当に会いにきてくれた

写真提供:河上 竜平

 

期せずして訪れたスケートボードと出会い

 

わたしは小学校から高校までサッカーをやってきた。だから生まれてくる子どもにはサッカーをさせたいと思っていた。エマが歩きはじめたころに小さなサッカーボールを買い、家のなかや公園で一緒にボールを蹴って遊んだ。

 

ある日、4歳から参加できるサッカースクールを知り、入会するつもりで体験会に行った。エマは道行く見ず知らずの人に「こんにちは」とあいさつをしたり、公園でもすぐに話しかけて友だちをつくる性格なので、体験会でもスクール生の子たちにすぐになじんでサッカーを楽しんでいた。

 

しかし体験会のあと、平日の練習は16時からという事実を知る。エマは友だちとサッカーをする楽しさをすでに知ってしまった。スクールに習わせたかったが、夫婦共働きでは連れていける時間じゃない。サッカーを習わせるのは小学校に入ってからにしようと夫婦で話し合った。

 

妻は土日が仕事なため、週末はわたしがエマの遊び相手だ。わたしもエマも休みの日に家にいるのが苦手な性格なので、毎週朝から公園やプール、海といった外へ出かける。エマが4歳のときのこと。わたしは一緒にスノーボードをしたいと思い、子ども用のスノーボード用具一式をそろえてエマを雪山に連れていった。キックボードや自転車、電動のおもちゃの車など乗り物が大好きなエマはスノボーにハマるとわたしは確信していた。しかもエマは3歳になったころには自転車を補助輪なしで乗りまわし、転んでも溝に落ちても懲りずに楽しんでいたくらいガッツがある。

 

予想どおりエマは初めての雪山に興奮し、スノーボードにハマった。何度も何度も転んだが、「帰りたい」と言わずに一日中スノーボードにのめり込む姿を見て、毎週末雪山に通うことに決めた。平日も家のソファで用具を一式装着して遊ぶほどエマは熱中。「早く保育園が休みにならないかな」といつも週末を心待ちにしていた。

 

シーズンが終わるころ、スノーボードのワックスを買いにムラサキスポーツを訪れた。そこで、エマがスケートボードを見つけた。

 

「小さいスノーボードにタイヤがついてるの、何?」

自宅から車で30分の場所にある六甲山人口スキー場にて。エマがスノーボードにハマってからはときどき平日の夜にも滑りにいった

写真提供:河上 竜平

 

危険。それでも挑む価値のあるもの

 

雪山じゃないところでも滑れるスノーボードみたいな乗り物だと伝えると「やってみたい」とエマが言う。

 

わたしは学生のころから1シーズンに数回はスノーボードをやっていたのでエマに基礎を教えることができたが、スケートボードに関してはまったく経験がない。印象としては、危ない乗り物。だが店員いわく「スケートボードはスノーボードのオフトレにしている人がいますよ」とのこと。エマもやりたがっている。エマにスケートボードをさせてあげるべきなのか。夫婦で考えた。

 

乗り物好きで活発な性格のエマにはできるかぎりやりたいスポーツや遊びはさせていたのだが、スノーボードのオフトレになると言えど、スケートボードには危険がつきまとう。それに自分が教えることができない。どうしても迷いがなくならないなか、もう一度「スケートボードをやってみたいか」とエマに聞くと、「やりたい」と答えた。

 

わたしは近所にスクールをしているところがないか調べた。すると兵庫県明石市にあるスケートショップ、72サーフでスクールをしていることが判明。次の週末に行ってみた。72サーフには小さなランプ※4と少し大きなランプ、そしてミニボウル※5があった。

 

店内にはスケートボードのほかにサーフボードやアパレル、雑誌が格好よく飾られている。そして、いかにもサーファーといった風貌の店長がレジ付近に鎮座している。わたしはエマにスケートボードを続けさせるべきか、ふたたび悩んだ。4歳からでもスクールを受けられるのかと店長に尋ねると、その日は「やっていない」という。しかしそのまま「スケボー体験」をさせてくれた。

 

スケートボードの乗り方、降り方をレクチャーされたあと、両手を持ってもらいながら小さなランプを何度何度も往復していた。エマが心底楽しそうにしている姿を見て、その日に初めてのスケートボードを購入して帰った。

 

その後、「コケれば痛いし、恐怖がつきものの乗り物」「10人始めたら半年で9人辞める」といったこれからスケートボードを始めるにあたってネガティブな話を聞いた。それはたしかに事実だ。だがそのリスクを負ってでも挑む価値があることを、エマにわからされている。本人はただ楽しくてしかたないだけなのだろうが。

 

 

※4 楕円を半分に切ったようなかたちのセクション。

※5 地面に空いた穴のようなすり鉢状のセクション。

 

ジースケートパークでの練習中にひと息つくエマ。真冬だが滑ると暑くので薄着。ヘルメットのなかはいつも汗だくになる

写真:大久保 広海

2022年の夏、ハジケテマザレ・フェスティバルというフェスにてジースケートパークのショーケースに参加した

写真:西條 聡

POSTED : 2023-06-16