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原田 正規 インタビュー

PLAYERS : MASAKI HARADA

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原田 正規
MASAKI HARADA

 

原田 正規 インタビュー

サーフィンの魅力とプロサーファー原田 正規の思いに迫る、2023年晩夏の対話。

 

文:高橋 淳
動画撮影、編集:飯田 健二

SOUND OF SUNRISE(以下、SOS):自己紹介をお願いします。
原田 正規(以下、MH):原田正規、47歳、プロサーファー。出身は佐賀県唐津市で、立神岩でサーフィンを始めました。現在は千葉県の長生郡一宮町東浪見に家族と住んでいます。
SOS:初めてサーフィンをしたときのことを教えてください。
MH:近所のお兄ちゃんに譲ってもらったサーフボードで親戚の友だちと一緒に始めました。そのボードはトライフィンだったんですが、サイドフィン1本だけしかなくて。それで、ふたりでわくわくしながら海に入っていったんです。「とりあえず乗りゃいいんでしょう!」みたいな感じで。小学校6年生か中学校1年生のころです。
SOS:最初から波に乗れましたか?
MH:乗れました。スケートボードをやっていて、ボードに乗ることに慣れていたからかもしれません。
SOS:人生初のサーフィンはどうでしたか?
MH:なんとなく覚えてるんですが、何かすごく満たされた気持ちになりました。今までになかったような満たされ方というか。

SOS:それから35年ほど経ちます。ずっとサーフィンを続けてきてよかったことはなんでしょう?
MH:いろんな人と出会えて、いろんな国に行けて、いろんな経験させてもらったことがいちばんです。
SOS:波を求めて旅を重ねてきたんですね。
MH:はい。治安の悪い場所からリゾート、アイランドなど本当にいろんなところを見てきました。そして、あらためて自分の地元がどういう場所なのか知ることができました。日本も含め、世界中を旅してきたことでいいこと、悪いことを見極める力がついたと思います。

SOS:プロサーファーとして活動するにあたり、犠牲にしてきたものはなんですか?
MH:犠牲にしてきたことはふたつあって。ひとつは地元。僕の地元は九州のサーフィンの発祥の地で、歴史がある。でも波が冬場しかなくて、夏はまったくサーフィンができないので、どうしてもプロとして活動していくには厳しい。だから決断しなきゃいけなかったんです。地元を離れて、千葉でサーフィンを追求することを。
SOS:もうひとつはなんですか?
MH:プライバシー。こうやって世に自分の顔をさらけ出すというリスクを負っています。これは本当に好きなサーフィンのためだからできることであって……。好きだし、思いもあるし、ある程度やってきた自負もあるからできる。自分がこうして世に出ることで応援してくれる人が増えたり、誰かがサーフィンをやる気になったり、そういう「エネルギー」につながることだからやっています。有名になりたいわけじゃない。本質的には、あくまでもプレーヤーでいたいです。

SOS:原田さんのインスタグラムのアカウント、@carry_on_as_surferの由来は?
MH:このアカウント名をつけたのはサーフィンから離れている時期でした。家族を養うために、フルタイムの仕事を選ばなきゃいけなかったんです。でもやっぱり「サーファーでいたい」という気持ちが強かった。どんどんサーフィンから離れていくタイミングだったけれど、あえて「サーファーとしてやっていきたい」という思いを乗せました。
SOS:サーファーでいることにこだわる理由はなんですか?
MH:見失わないことというか…… 自分が自分でいるための手段なのかなと思います。実際はどうかわからないけれど、ただ、サーフィンをして生きていきたいという気持ちがどうしても強い。そして、自分がサーファーでいることが人のためにもなれたらいいなと思う。そのようなイメージが自分のなかに広がっているので、どうしてもサーファーでいたい気持ちがあります。

SOS:波に乗る気持ちよさはどんなものですか?
MH:自分で乗りにいかないと、波には乗れません。たとえばスノーボードのように、山のてっぺんまで行って「よーい、スタート」と滑り降りるのではなくて、海に入ったらその場で波を選んで、自力で波をつかむ。選んでも、乗れるかどうかわからない。パドリングをして、「これだ!」と思った波をしっかり自分の手でつかんで、走り出す。その爽快さはもう……。サーフィンをしていると、いろんな場面でテンション上がります。でも、自分が選んだ波に乗ったときの「よっしゃ!」という気持ちよさは格別です。そして風を切ったときに、すべてを忘れて、今ここに集中する。その一瞬が楽しくて、いろんな波と出会うのが楽しみで、ずっと続けています。

POSTED : 2023-09-12