今年初のスノーボードをするために、新潟県妙高にある赤倉観光スキー場へ行ってきた。一緒に行ったメンバーは昔一緒にサーフブランドをやっていた仲間だ。
まずは前日に茅ヶ崎に集合。サーフウェアを手掛ける茅ヶ崎の兄貴、亮介くんに会い、このツアーのために佐賀からわたしの地元の仲間、三成と合流し、夜には横ノリチームのリーダーだった610ちゃんに会い、道中、ひさびさの再開に夜な夜な話が弾んだ。ランクルの安定感ある走りでドライブも心地よく、あっという間の4時間だった。スキー場付近は今まで見たことないくらいの積雪。景色に見惚れていたら、すぐ到着してしまった。
現地で登場したのは、かつてサーフブランドをともにやっていたメインシェイパーのハシダテくんと、ライダーだった一楽弘徳。よくケンカしたし、よく笑った仲間だ。当時仕事をうまく進められず、痛手を負ったことはいまだ認めたくなくもあるが、グッとこらえてワッツアップした。今回は、その当時サーフボードメーカーをやってた社長、松尾さんの還暦スノボツアーなのだ。ほかにも香川で美容師をやっているナリさんと、ナリさんの息子ジョーもやってきた。ナリさんのブラ、マナブさんは今回の宿泊先を提供してくれた。そして今回の主役、松尾さんと再会。少し痩せて小さくなった感じがしたが、笑顔は昔のままだった。
さっそく、みんなスノーウェアに着込みリフトに乗り込んだ。そこへ千葉の小野塚家の長男アレンも登場し、コースを案内してくれた。総勢10数名と収拾つかなそうな雰囲気を悟ったわたしは、アレンと先頭を滑った。この日のためにゲットしたスノーボード、エアグルーヴ151はわたしが初めて自分でチョイスしたアウトラインだったので、よりいっそう楽しかった。思ったとおりのラインが描けて気分は爽快だった。ただワックスを塗っていなかったせいか、滑りに物足りなさを感じた。まだまだわたしがスノーボードに対する意識が低いのはあきらかだと思い知った。
この日は軽く滑り、旅館にある温泉へ。体の血流が脳までめぐり、頭のなかが無になった。このメンバーにじっくり会うのは何年ぶりだろう。もしかしたら10年は過ぎたか……。そんなことを思いながら、わたしは自分のなかで整理しきれない思いを感じていた。
仕事をしていればいろんな経験をする。それはいいも悪いも全部。そこで割りきれない価値観の違いでブレイクすることなんてどこにでもある話。いろいろめぐってくる。
その日の夜は松尾さんの還暦パーティー。会場は地下にある焼き鳥屋。外人も多くにぎわっていた。ここで千葉の兄貴分オノゲくん(アレンの父)も合流し、いろんな思いもを抱えたわたしも、みんなと話していくうちにさすがになごんでいった。この焼き鳥屋の「アサガオ」で働いてたのは、千葉の東浪見ボーイズたち。新潟なのに、狭い店内はほぼほぼ千葉だった(笑)。夜が更けて、もやもやした気分もなくなり本当楽しかった。松尾さんもうれしそうだった
次の日はさらに積雪し、朝からまさかの雪かき。車がまるまる埋まってしまった。さらにゲレンデの整備に時間がかかり、リフトに乗ったのは9時半くらいだった。わたしたちは先頭でリフトを待ち、早々と乗り込み一番乗りで山頂へ到着した。まわりには誰もいなくて、もちろんノートラック! 先頭は松尾さんで、次にわたしが滑りはじめた。今まで味わったことがない、まぎれもないパウダースノーだった。板が浮いている感覚を始めて知ったその瞬間、「コレはやめられない」と体が反応した。真っ白なゲレンデでひときわ目立っている還暦の真っ赤なスノーウェアを着た松尾さんは、サーフィンとまったく同じ、洗練されたスタイルで滑っていった。
還暦でも山のてっぺんからミスることなくコースを滑りきった松尾さんはすばらしかった。わたしは途中の雪コブに捕まり転倒したが、なんとか追いついていけた。
このツアーで、わたしは「仲間」というものをあらためて感じた。何はともあれ、生きてればいやなことや思いどおりにならないことが大半。でも、仲間と一緒に楽しめる遊びがあるというのは最高だ。仲間がいて、そのつながりが広がっていくような人生がいちばん楽しいんじゃないかなと思う。
山の楽しさをあらためて知ってしまった。また行きたい
POSTED : 2025-03-05