文:原田 正規
写真:芝本 宜利
今まさに台風シーズン。過去をさかのぼれば、たくさんのタイフーンスウェルを体験させてもらった。なかでも四国のリバーマウスでのサーフィンは別格だ。コンテストのときのように点数を意識していちいち数多くターンするサーフィンではない。来た波に全力でパドリングし、テイクオフしたときのあのなんとも言えないアドレナリン。そして、大きな水の壁。その一発の波に懸ける思い。ビックバレルに包み込まれた瞬間にこそ、サーファーとしての価値観が試される。たとえそこで乗れなくても、あきらめずに挑戦する姿勢があれば成長できる。
もちろん、誰だって最初から大きな波に乗れるわけじゃない。あのケリー・スレーターだってプロになりたてのころにはビックウェイブで度胸とスキルを試されるときがあったに違いない。わたしが鮮明に覚えているのは、1992年に初めて宮崎で行われたWCT※1のコンテストのときのこと。ちょうどやってきた台風の影響で会場はクローズアウト※2になり、コンテストは中断。選手たちはリーフのポイントへ各自サーフに出かけた。ビデオでしか見たことがなかったWCT選手のビックウェイブパフォーマンスに、当時中学生だったわたしは強烈にインスパイアされた。
なかでもトム・カレンはすごかった。かつて誰もやったことがなかった宮崎のリーフブレイクにひとりでパドルアウトし、20フィートオーバーのビックウェイブライディングを記録したのだ。その場にいたプロデビューしたばかりのケリー・スレーターも、チームメイトで大先輩のトム・キャロルとともにトム・カレンのあとを追ってパドルアウトした。
こういったシチュエーションで海に入るか入らないかによって、サーファーとしての価値観が試されるとわたしは思っている。そのとき居合わせたメンバーが間違いなくリアルなサーファーであったことがこの伝説的なセッションをつくり出したに違いない。そのリーフブレイクは「カレンズ」と名付けられ、今でもビックウェイブスポットとしてローカルサーファーをはじめ、各地からビックウェイブを好むサーファーが通っている。
わたしはそこまでビックウェイブに乗ってきたわけではない。だが、ハワイに15年間通ってきた経験と自負がある。だから、日本であればある程度のビックウェイブに乗れる自信はある。しかし、それに向けて念入りに体をつくり、サーフボード、リーシュコード、ウェットスーツなど信頼できる道具を用意しなければならない。これが、わたしがコンテストで結果を残す先に目指す、サーフィンに対する本来の価値観である。
※1 世界のプロツアーを運営するWSL(ワールドサーフリーグ。旧称ASP)による世界最高峰のワールドツアー「ワールドチャンピオンシップツアー」の略称。現在はCT(チャンピオンシップツアー)と呼ばれている。
※2 波のサイズが大きすぎる、風が強すぎるなど、サーフィンに適さない危険なコンディション。
https://www.namidensetsu.com/news/naoya_kimoto/235543
サーフィンフォトグラフ界の巨匠、木本 直哉による、1992年に起きた伝説のセッションの手記。ビッグウェイブスポット「カレンズ」誕生の瞬間をとらえた歴史的ショットともに、臨場感溢れるストーリーをぜひご覧いただきたい
POSTED : 2024-10-04